沿革

1930(昭和5) 石田國三郎氏ほか六名が発起人となり『東京時計附属商工業組合』(当組合の前身の前身)が組合員約80名で設立 された。
初代組合長小宮増太郎、二代目木村大資、三代目丹羽留吉、四代目石田國三郎、五代目平岩徳三郎が歴任し、法的性格を持った組織ではなかったが、相当に役立ち有意義であっ たと言われている。
1939(昭和14) 商業施設組合法の制定を機に、中野新助氏等が法的性格を持った組合の結成を呼びかけ、『東京時計バンド卸商業施 設組合』(当組合の前身)を設立し時計関係業界のトップを切って認可を受けた。
初代理事長外園誠吉、二代目村井寅吉が歴任した。
1946(昭和21) 戦後休止していた組合を『東京時計附属品装身具卸業協同組合』として再結成された。
通算三代目理事長涌井増 太郎、四代目安蔵喜男、五代目上野力蔵、六代目長谷川恵章、七代目遠藤僖一、八代目今田正雄が歴任した。
1957(昭和32) 『東京時計附属品装身具卸業協同組合』の解散に伴い、村井虎吉氏、長谷川恵章氏、安蔵喜男氏、今田正雄氏等が中 心となって、仲間卸の組合として『東京時計附属品貴金属装身具商工業協同組合』(現在の当組合)が設立された。
初代理事長村井寅吉、二代目今田正雄、三代目谷清丸、 四代目伊藤善照、五代目竹本茂次、六代目政木喜三郎、七代目田中慰、八代目政木喜三郎が歴任し、九代目石田国久が現職を務める。
1958(昭和33) 組合事務所が竣工し、「金属美装会館」と命名される。
1963(昭和38) NETテレビ(現テレビ朝日)にて時計バンドのPRを開始した。
1964(昭和39) 青年部が発足された。
1972(昭和47) 若竹会(二世の会)が発足された。
1976(昭和51) 名称を『東京美装商工業協同組合』に変更された。
  現在に至る。